盆栽愛好家に古くから使われている盆栽鉢には、「支那鉢」と「和鉢」の2種類があります。

高級な盆栽が植えられていた「支那鉢」

昔から支那鉢は、盆栽愛好家の中でも特に高級な盆栽を植える際に使われていた盆栽鉢です。今日存在している古い支那鉢の種類や鉢数は少ないので価格も高く、「盆樹を植える鉢」より骨董品としての価値の方が高いので、貴重な存在になっている盆栽鉢です。第2次世界大戦前までは、高級品として扱われていた支那鉢が日本に数多く輸入されていましたが、前後はあまり良い支那鉢は輸入されていません。

支那鉢の特徴は、色、形状、質の3つのどれをとっても優れています。支那鉢には、「古渡り」、「中渡り」と「新渡」の3種類があります。「古渡り」の支那鉢が初めて日本に渡来された時期は、明治の末期から昭和の初め頃とされています。この時期に日本に渡来してきた支那鉢は、200年から300年位前に作られたものと伝えられている「古渡り」と呼ばれている種類です。この「古渡り」は、支那鉢の中でも最高級品とされているものなので、鉢の形状、色彩、質や鉢全体が持っている気品にも最高級品としての風格や魅力が溢れています。

「中渡り」は100年位前に作られた支那鉢です。「古渡り」の鉢に比べて高級品はないですが、素晴らしいものが多数あります。また、「古渡り」の支那鉢は日本に少ししか存在していないですが、中渡り」の支那鉢もあまり存在していないので「古渡り」と同じように取り扱われています。「新渡」は大正時代から第2次世界大戦前まで、日本の盆栽愛好家の好みに合った支那鉢の型のものを中国に依頼して作られた支那鉢です。戦後、日本側から依頼して作られた支那鉢と中国で作られた本来の支那鉢を区別するために、「新渡」と名付けられました。しかしながら、今日では中国から渡来してくる支那鉢はすべて「支那鉢」と呼ばれています。

支那鉢でなくても盆栽が引き立つ「和鉢」

盆栽を育てていると支那鉢に自分が仕立てた樹木を植えたくなりますが、日本製の「和鉢」でも充分に樹木の魅力を引き立たせてくれます。

日本で盆栽用の鉢が作られるようになったのは江戸時代の中頃からですが、本格的に生産されるようになったのは、明治に入ってからです。当時は、この和鉢は、陶工職人や盆栽鉢を趣味にしていた人たちによって作られていたと伝えられています。盆栽鉢作家の竹本隼人、小野義具、永楽善五郎などの作品は、珍重されていました。彼らの作品の中には小品盆栽用の鉢が多くあり、これらの作品は当時、高級品とされていた支那鉢より高値がつけられた鉢もありました。

「和鉢」の主な生産地は、常滑、瀬戸、信楽です。常滑は、盆栽鉢づくりの歴史も古く、本格的な盆栽作家も多い産地です。常滑の主な盆栽鉢作家は、柴田馨山や片岡秋次などです。瀬戸は一般大衆向けの盆栽鉢を大量に生産している産地です。信楽は盆栽鉢より、植木鉢の生産の方が多い産地です。

また、「和鉢」の中でも幻の陶工といわれた「呑平」が明治の中期以降に作った作品が皇居にあります。この「呑平」と呼ばれている陶工は、大酒飲みのためにつけられたニックネームなので、この作家についての情報は不明です。しかし、現在、東京の下町である曳船付近に銘品と呼ばれる盆栽鉢が焼かれた窯があったと伝えられているので、「呑平」の作品もこの窯で焼かれた可能性もあります。

高級な支那鉢も良いですが、自分の育てている樹木との鉢合わせが良ければ、和鉢でも充分に樹木の魅力を引き出たせてくれます。